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コラム
伊予鉄の歴史

伊予鉄の歴史

明治21年10月28日、軽便鉄道としては日本初となる待望の伊予鉄道が開通、営業開始となる。最大の功労者は元松山藩士小林信近。明治初期の廃藩置県などによる未曾有の担会変動は、武土の生活を圧迫、小林はそれらの授産事業に心を砕き、上浮穴朝防山野村(面河)の山林約300ha の払い下げを受ける。明治16、7 年頃にはそれら用材を鉄道の枝ホとして神戸鉄道局に出すことになり、道の整備もままならぬ時代に三津港までの搬出に苦労する。松山にも鉄道敷設をとの発想になったのは当然の帰結だった。フランスのドコービル鉄道という石灰鉱山のミニ鉄道に関する情報を得、松山〜三津聞で起算し、同18 年には鉄道局に請願する。

やっと軽便鉄道での許可が下り、同20年9月に県会議事堂で松山鉄道会社の設立総会が開かれたが、時の県令は山梨から着任した開明的な藤村紫郎であった。翌年5月には工事開始となり、名称も松山でなく伊予鉄道として、外側(現・市駅)から三津までの約4kmが、晴れて開業したのが冒頭のシーンである。

機関車はドイツ・ミュンヘン州クラウス社製の2両、客車6両、緩急車と貨車各1の計10両でスタートしたが、以降次第に自前で客車や貨車を製造するようになり、同25年には高浜まで路線延長となる。翌年には平井河原駅へと東進し、32年に横河原駅まで延長、横河原線が完成、29年には森松線(昭和40年に廃線)も開通している。