坊っちゃん列車の歴史
現在、松山市内(松山市駅・古町・道後温泉駅 等)を走り観光客の目を楽しませている「坊っちゃん列車」。実はこの列車は復元されたものなのです。
明治時代の坊っちゃん列車
初期の坊っちゃん列車
その昔、伊予鉄道開業から間も無い頃(明治21年)から67年間にわたり活躍した蒸気機関車がモデルとなりました。当時は黒煙をもくもくと出しながら、最大で18台で地域と地域を結び、松山市民の足として活躍しました。
「坊っちゃん列車」は小説のタイトルから
昭和28年頃の坊っちゃん列車
なお、「坊っちゃん列車」という呼び方は、夏目漱石の小説「坊っちゃん」で登場人物が利用したことから、タイトルに「列車」が付き、そのまま人々に親しまれるようになったことによるものです。
「電車」の登場、「坊っちゃん列車」引退!
梅津寺で展示されている坊っちゃん列車
それから、蒸気機関車(坊っちゃん列車)は、地域の経済・産業・文化の向上に貢献しましたが、列車の電化に伴い路線から姿を消しました。
当時の坊っちゃん列車のうち、機関車は鉄道記念物に、さらに客車を含めては県文化財に指定され、梅津寺公園などで展示されています。
坊っちゃん列車、ふたたび
現在運行中の坊っちゃん列車
「坊っちゃん列車」の復元については走行場所をはじめ技術的にも数多くの問題があり困難とされてきました。しかし、地元地域からの熱い声を受け、また地域活性化の起爆剤として、多くの難題をクリアし実現したのです。
昔、石炭で蒸気の力で動いていましたが、現在はディーゼルエンジンを採用しています。さらに、煙突から出ている煙に見えるものは、蒸気を煙に見たてたものです。環境に配慮した面も新生「坊っちゃん列車」の特徴と言えます。
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