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坊っちゃん列車に乗ろう!
Q&A

「坊っちゃん列車」と呼ばれるようになったのは何故ですか?

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昭和20年頃の坊っちゃん列車

「坊っちゃん列車」という名前は、明治の文豪・夏目漱石の小説『坊っちゃん』から来ています。その中で漱石は、坊っちゃん列車のことを【マッチ箱のような汽車】と形容しています。
停車場はすぐに知れた。切符も訳なく買った。乗り込んで見るとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。(小説『坊っちゃん』より)
夏目漱石は明治28年4月に松山中学校(当時は愛媛県尋常中学校、現在は松山東高等学校)の英語教師として赴任。その時の様子を脚色して小説化したのが小説『坊っちゃん』です。
坊っちゃん列車の現物や原寸大モデルはどこに行けば見られますか?

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梅津寺にある坊っちゃん列車

現在、梅津寺公園に1号機関車と客車の現物(鉄道記念物および県文化財に指定)があり、坊っちゃん列車ミュージアムと新居浜市の愛媛県総合科学博物館には1号機関車の原寸大モデルが飾られています。また子規堂と伊予鉄古町駅には当時の客車が残されています。
坊っちゃん列車はどこで作られたものですか?
ドイツ・ミュンヘンのクラウス社で作られたものを伊予鉄道が輸入して使用していました。
坊っちゃん列車はいつからいつまで走っていたのですか?
明治21年に営業を開始して以来、明治・大正・昭和の3時代をを67年間(昭和29年まで)にわたり運行してきました。
※なお、これは日本最古の軽便鉄道であり、民営鉄道としても日本鉄道(政府資本)と阪堺鉄道に次いで3番目でした。
伊予鉄道開業当時に走っていた坊っちゃん列車と、復元後の坊っちゃん列車の違いは?

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坊っちゃん列車1号機関車

当時のものは蒸気機関車で石炭を燃やして走っていました。復元後は環境問題を考慮し、動力はディーゼルに、また、起終点での方向転換が必要になったので、そのための「転車装置」を内蔵しています。
※汽笛音や運転士・車掌の服装については、資料や記憶などを基にできる限り当時の音色・姿を忠実に再現しています。
坊っちゃん列車復活に踏み切った理由は?
坊っちゃん列車の復元運行は過去にそれまでにも検討されましたが、技術的問題・走行場所・制作コスト、許認可など、あまりにも課題が多いため、断念してきた経緯がありました。
しかし、坊っちゃん列車の復元・運行を地域活性化の起爆剤に、また四国三橋時代を迎え松山の新たな観光資源の目玉にしてはどうかという声が高まり、各界、各層の方々の熱意と迫力に後押しされる形で、社内プロジェクトチームを結成し、様々な課題を検討し、復元・運行に至りました。
坊っちゃん列車の特徴は?
何といっても夏目漱石が小説「坊っちゃん」の中で形容したように、マッチ箱のように(大げさですが)小さいことでしょうか。また、その小さい車体に似合わず、蒸気も吐けば汽笛も鳴らします。環境問題を考慮して「蒸気機関車」としては復元せず、ディーゼルエンジンを利用しています。
伊予鉄