![]() 「そんなこと言うても係長さん、わしゃ、まだ診断書通り、五日も休みが残っとるけん休むぞな」 「お前、本当に体が悪いんかあ、ピンピンしとるがや」 「それは、診療所の先生に言うてもらわないかん、気管支炎じゃ、言うて十日間の診断書、書いてくれたんじゃけん、わしゃ知らんぞな」 係長は、仕方なしに、母親に挨拶をして帰った。 K君の気管支炎は、たいしたことないが、真夏の炎天下、粗悪石炭と戦いながら、手袋も充分支給されず、石けんなども悪質なため助士一同、労組の闘争では、まどろかしいと全員が、日を決めて一斉に診断書を提出し休んでいる。合法的に、抗議行動に出たのである。 係長が帰ってから、 「お前、なんぞ悪いことしたんけ、えらい人が来たりして会社へ行けんのじゃあないんけ」 母親がウロウロしている。 「心配せんでもええわい、みんなと約束したことがあるんじゃけん」 とは言いながらも、母親に説得をされ、その夜、午前勤務をするつもりで機関庫へ出向いて行った。 「Kよい、来てくれたんか、他の連中も呼びに行ったが、まだ誰も来てないんじゃ、よかった、よかった、お前が来てくれなんだらオオゴトになるとこじゃった」 係長は大ゲサに言った、二階の宿泊所へ上ると、若手機関士が五人程、横になっていた。 「K、お前なにしに来たんぞ」 「あっ、コプさんかな、仕事に来たんじゃがな」 「なにや、仕事に来たや、仲間を裏切り、スト破りをするつもりかあ、お前らのために、わしら、家にも帰らんと缶を焚いたり運転したりしてがんばっとんぞ、なんと思っとんぞ、このくそったれめ」 「それでも係長が、みんな出動するようになった言うたがな」 「うそに決まっとろが、昨日から、係長や事務員が、総動員で助士の家え行って説得にしよんじゃが」 他の機関士連中も、口々にK君をへどました。 それもそうだ、ここで汚名をきたら男の一生が台なしになる。 「コプさん、よう言うてくれた、わしは男になりそこねよった、ありがとう、今夜は帰えろわい」 K君、事務所にだまって、コプ機関士の意見に涙しながら、夜道を我が家に向かって帰えって行った。 翌日、闘争本部?から連絡があった、助士の家から家へと、指令を順次、伝えていくことになっている。 内容は、このままストを続けてもらちがあかんので、あとの戦術について話合いをする。○月○日、午前八時までに、中村橋の橋の下へ集まるようで、尚、バレるとやばいので、当社の汽車、電車、バス、タクシーを使用しないこと、用心して集まってくれとのことである。 ![]() 中村橋えやって来たK君、橋の下にはおおかたの者が集っており、ワイワイガヤガヤ、 「おーい、みんな元気か」 「おお、Kきたか、誰にも見つからなんだか、これ見て見い、みんな、ピンピンしとらい」 病気じゃ言うて、診断書を出し、仕事を休んでいる連中が、元気であったり、ピンピンしとるとは、どう考えてもおかしい。 「よし、これで全員揃うたネヤ、ボツボツ戦術会議をやるけんしづかにせいよ」 リーダー格の古参助士が言った、議論が白熱化しだした。 その時、一台のタクシーが車の上で止まり、車から降りた男が橋の下へ向かって走って来た。 「コラー、お前らそこを動くな」 と叫んだ。 「あ、いかんCさんじゃ、誰ぞつけられたんじゃあないか」 Cさんは、機関庫出身で労働組合の副委員長さんであり、K君達の大先輩である、Cさんはみんなのところで立ちはだかり。 「お前ら病気じゃの言うて、ここらまありに集まって何をしよるんぞ、わしがおるのになんで相談をしてくれんのぞ」 「そんなこと言うても、Cさんに相談したら、協約闘争まで待て言うじゃろがな、わしらは今がだいじなんよ、秋までまてんがな」 「秋まで待てんからと、やまねこ争議をやってもかまんと言う方法は、ないぞよ」 「C先輩、やまねこ争議言うたらなんのことぞな」 K君が聞いた、 「馬鹿タレ、やまねこを知らん、それも知らん者が病気じゃの言うてストライキのまねごとをするな、大馬鹿者が」 K君、知らんこと聞いたのに、親切に教えてもらえると思ったのに逆に、へどまされた。 「お前ら、こんなことをしよってもらちがあかん、言い度い事があるなら直接、課長・係長と交渉せい、わしがなかにはいってやる」 三十人程の助士連中、一人の男に貫禄負けである。 「よし、C先輩が中にはいってくれるけん、みんな行こう。会社へ行って課長・係長に思い切ったことを言おうぞ」 リーダー格の音頭で、 「そうじゃ、そうじゃ」 みんな、労働歌を唱いながら、機関庫へ向って行った。 先に帰っていたCさんの立合で、課長・係長を目の前に交渉することになった。 「よう、みんな元気か、よかったよかった、お前らが仕事に来んので汽車が止まる寸前じゃった。重役さんに相談したら心配しておられた。明日から仕事に来てくれよ、たのむ体に気を付けての、重役さんからは、ある程度の無理も聞いてやれよと言われとるけんの」 課長は、みんなに、おべんちゃらを言った。 「みんな、ええチャンスじゃ、言い度いことは、しゃんと言えよ」 Cさんが、みんなをけしかけるがいざ課長と対面して見ると、みんな小さくなってもじもじしている。 「お前ら情けないネヤ、やまねこ争議でストライキまでする馬力があるもんが、よしわしが、だいたいの事は分かっとるけん代弁してやる」 Cさん一流の弁説で課長・係長と交渉してくれた。 その結果、石炭は良いものを仕入れると言い、手袋は余分にくれることになり、石けんは泡の良く出るものをくれだしたし、その他いろいろあったが、特に乗務手当の増額は、組合の立場で交渉し値上げを約束してくれた事が一番うれしかった。 K君や職場の連中は、やればやれるもんじゃと思った。Cさんの筋を通した交渉を聞いて、やっぱり闘争は正しい法律に合わせたものでないとなんにもならないと反省し、すねたまねをしても、どうにもならんことがわかり、良い勉強になった。 |
附記 戦後、二、三年は石炭事情は悪く粗悪石炭で、蒸気の上りは悪く、腕がへし折れるのではないかと思うくらい激務で、特に上り坂が続く横河原線で平井駅までやっと着き、そこで次の上り坂の準備で一苦労し、運転時間など無視していました。 缶焚きには、絶対必要な軍手は、つぎはぎだらけで、石けんもドロ石けんで、汚れが落ちず、手も荒れて弱りました。 この争議のあと、当社にもレッドパージがあり、我社六名のうち機関庫から2名が職場を去って行く出来事がありました。 “坊ちゃんも たまげたなもし ストライキ” |