![]() 横河原駅を発車して、すぐ下り坂となり見奈良駅まで続く、惰力を落しながら見奈良駅へ止めるのは、機関車だけのブレーキだから相当な技術を要した。 「あ、クロさん、スリップ始めた、砂出してや」 「よしゃ、ありゃハンドルがきかん石がつまったらしいぞ」 ブレーキを掛けると、小雨のため線路が濡れており、動輪がスリップを始めた。列車は、惰力が落ちるどころか、速度を増し機関車を押してくる。クロ機関士は、砂箱のハンドルを操作続けている。 「こりゃ、オオゴトじゃ、クロさん見奈良へ止まらんぞな」 「見奈良どころか、田窪迄行ってしまうぞよ」 二人はあわて出した。K君は、神仏に願いたい気持ちになったがどうにもならない。見奈良駅はもう目の前である。 「あっ、砂が出だした」 砂はスリップしている動輪にかみ込み、列車の速度は落ちたが、駅のホームは素通りであった。ホームの乗客は、まごついている。列車は、ホームからかなり離れて止った。 「やれやれ、オオゴトになりよったのう、冷や汗が出たが」 二人は、胸をなでおろした。車掌が飛んで来た。 「クロさん、えらいこっちゃやがな、この間は、お薬師さんの裏まで来てしもうたが、今日は、まだええわいホームまで一寸バックしてえな、客から文句が出るさかい」 「やかましい、機関車が言うこときかんのじゃ。乗客をこっちえつれて来い。ここで乗ってもらえ」 二人は、テレクサさもあった。 「そんな馬鹿な、バックしてホームへ着けてえな」 「めんどい、めんどい」 二人はホームへ着けなかった。気まづい思いである。乗客は、プラットホームから飛び降りて、列車のほうえやってくる。ブウブウ言いながら客車に乗り始めた。乗客の苦情は車掌が処理するのでその点、機関車乗りは、気が楽であった。 |
附記 今考えると、あの機関車で、人間を乗せた客車を引張り、走らせたり止めたりしたもんだと思います。特に、ブレーキを扱う乗務員は神技的でありました。前進運転は、機関士が、蒸気圧力を利用したブレーキを取扱い、バック運転は助手が反転テコを利用した手動ブレーキを取扱っておりました。 機関車だけのブレーキで列車を止めるわけですから、荷重と惰力を如何に、上手に利用することが大切であり、技術によって、衝動を少なくするかが問題です。下り坂や、線路が濡れている時など、スリップをなくし、惰力を如何に殺すかが腕の見せどころでした。 機関車には、ボイラーの上に、前から煙突、次が蒸気溜め、その次が砂箱になっており、空転や、スリップした時に、機関室より操作して砂を出し、その砂はパイプを伝って、線路上に落ち、動輪にかみ込み、空転や、スリップを止めていました。 今でこそ言えますが、何も知らないお客は、良く乗ってくれたものと思い、ゾーとします。特に、急ブレーキを掛けても直ちに止まる事が出来ないので冷や汗ものでした。今なら、許可にならないブレーキ装置ではないでしょうか。 “止めること 先に習って 走らせよう” |